街の音色TOP
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チェンナイ(南インド)
ブエノスアイレス(アルゼンチン)
ウディネ(イタリア)
ボッハム(ドイツ)
ホルシュタイン(スイス)

トリエステ(イタリア)
チュービンゲン(ドイツ)
パンパネッラ(スペイン)
デュルンシュタイン(オーストリア)
トゥーン(スイス)

ユーリッヒ(ドイツ)
ブルーヒル(アメリカ)
トリノ(イタリア)
エリチェ(イタリア)
リヨン(フランス)

イラクリオン(ギリシャ)
サンタフェ(アメリカ)
グラスミア(イギリス)
ゴールドレイン(イタリア)
グラード(イタリア)

プラハ(チェコ)
クリミア半島(ウクライナ)
ヴェネチア(イタリア)
パドヴァ(イタリア)
バーデン・バーデン(ドイツ)

アバディーン(スコットランド)
トリヴァンドラム(インド)
バリローチェ(アルゼンチン)
リューベック(ドイツ)
バルデモサ(スペイン・マヨルカ島)

ブエノスアイレス(アルゼンチン)
 
 

 

 

 

 

 

 つかの間の秋の、やわらかい日差しをいっぱいに受けようと 公園には多くの家族連れが繰り出し、思い思いにピクニックや散歩を楽しむ。そこここで奏でられるギターの軽やかな音色に、やさしい時間が精一杯ゆっくり流れる週末の午後。なだらかな起伏に沿って 人々が露店を出し、静かに本を読みながら客を待つ。‘オーラ!’という短い挨拶の中に お互いの、ささやかだけれど豊かな時間を共有して、時にはのんびりした値段の交渉が始まる。連れていた犬がたいくつして 傍らに寝そべってしまっても、時間はいつもたわいのないおしゃべりの味方だ。スケッチブック片手に絵を売る若者、独特の容器に入ったマテ茶を飲みながら、トランクに入った思い出の古い品々を大事そうに並べる老人、大きな木の下でバンドネオンを弾くマリオネットには 子供たちが近寄ってくる。時の流れはしなやかで穏やか、陽だまりでうずくまる子猫のまわりでは いっそうゆったりとなる。
 いくつもの顔を持った街だ。そろそろ日が傾き始め、夜へも招待状が渡されるころになると、人々は長い影をひきずって それぞれの家路へと急ぐ。どこからともなく聞こえてくるタンゴのリズムが 夕暮れのカーテンを引き、街は驚くはやさで闇へ落ちていく。
ブエノスアイレスで一番古いタンゴクラブ‘ALMACEN’のテーブルのろうそくに灯が灯ると、あやしい光に照らし出された踊り子たちの白い顔と長い手足を、様々な表情に操るバンドネオンの官能的な夜が来る。狂気にも似た激しい踊りと オルケスタの演奏に興奮しながらも、どこか 体の芯が冷めているのは 彼らの魂の奥に悲鳴のようなものを感じるからだろうか、それとも 自らにはない歴史や人種差別の重みを認めざるをえないからだろうか。
 そして 午前零時、いつのまにか降りだした雨が石畳をぐっしょり濡らし、熱くなっていた街の体温を一気に冷ましていく。粘りつくようなバンドネオンの旋律を背中に感じながら、しかしそれはしだいに雨の音にかき消され、振り返ると もうそこに狂乱のあとはなく、ただ、古びた重い扉が 遠い国の旅人を拒絶していた。



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